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フィッツジェラルド「ゼルダ全集」ゼルダ・フィッツジェラルド全集
◆ ゼルダ・フィッツジェラルド全集
ゼルダの文章は特異。比喩のモチーフとして用いられる数多くの単語は非常に無秩序で、一文一文が夢の続きのように無関係。はっきり言って「読む」だけで大変。でも彼女が取り上げようとしたテーマのようなものはとても興味深く感じられ、結局、大変だーもう読めんーとか文句を言いつつ少しずつ読むことに。 「ワルツは私と」は、ゼルダ唯一の長編で、スコットとの関わり方や彼女の対応・感情がよく分かってよい。夫婦生活にテーマをとったものはスコットの作品でも多いが、同じ出来事を脚色していても、それぞれ男性の視点と女性の視点の違い、スコットの感情とゼルダの感情のズレが分かって面白い。 ゼルダのスコット宛の書簡からは、彼女が精神を病んでいく過程が見られて興味深い。ラストパーティで引用された手紙(1935年6月)については、多少多めに引用してみました。参考までに。 "まえがき"よりゼルダ・フィッツジェラルドのヴォキャブラリーのキーワードは「約束」である。彼女の小説が呼び覚ますものは、人生の可能性のみならず―期待である。守られた約束と、成就されなかった約束。(マシュー・J・ブロッコリ) "序"よりスコットの言語とシンタクスはなめらかできちんとしていて、ほとんど聖書のようだ。・・・スコットフィッツジェラルドは神話の創造者である。・・・しかしゼルダにとっては、世界は混沌とし過ぎていて、とても神話の材料にはならないのだ。それは夢の素材で、ばらばらで未完成で、想像するしかない、ないしは放っておくしかないいろんな結びつきで一杯だ。(メアリー・ゴードン) 長編「ワルツは私と」[Save Me the Walts](作品解説より)
ブロンドの中尉が、記章をひとつ失くした姿でベッグズ家の階段をのぼってきた―彼の肩甲骨の下には、何とも気持ちよく両足を地面から持ち上げる、何か素晴らしい装置が隠されているみたいで、普段は飛べる力をこっそり楽しんでいるが、今は世間に妥協して歩いている、といったふうだった。
スコットとやりとりされた書簡1919年春スコット、大好きな大好きな人―なにもかもがなめらかで安らかです、この黄色の夕暮れみたいに。あたしはあなたのもの、あなたはあたしを離さない、なにものもあたしたちを離せない―そう思うと、ほっとします。 今日は墓地にいました―古い死はとても美しい・・・とても・・・いつか一緒に死ぬのですね・・・きっと・・・スウィートハニー 1931年12月愛しい人、貴方がいなくてすごく寂しい、二度ともう出掛けないでね。あなたがいないと、どんなことであれ、興味を持つのが絶対的に大変だし、適当に付き合っていくことすら出来ません、だめなの。 1932年2月以降ダーリン、どこか素晴らしいところへ行きたい、全てを似たものにしようという概念が絶対無いようなところへ― 1932年3月あーあ・・・あなたが大好き、ほんとうに好き。方向もわからなくなったあたしのせいで貴方が一瞬でも不幸せになってしまうのかと思うと、自分が情けないけど、自分のことがまともに説明できないのだから、永遠にあたしは一人で貴方しかいないわけで、本当に悩ましい 1932年3月ああ、お願い、あたしを好きでいて・・・人生はひどく混乱しているけど、でも愛しています、お願い、そうして・・・そしたら、忘れないから、貴方があたしを必要になるときに必ず・・・だから助けて 1935年6月 親愛なる、いつもいつも親愛なるスコット 貴方はとても優しかった、あたしにいえるのは、いつもあたしの心の中には深い川があったということで、それがあたしの命・・・貴方でした。 今はもう幸せもない、故郷もなくなった、昔もない、感情も貴方のものばかりで慰めにならない。本当に情けない、かつては優しさも夢もどっさりあったのに、辛く冷たく会わなくてはいけないなんて。貴方の歌みたい。 あなたには、タチアオイとスズカケノキのある、午後の日差しが銀のティーポットに差し込む、小さな家を持って欲しい。スコッティーが白い服を着て、まるでルノアールのようにそこいらを走り回り、貴方も何冊も本を書く。ティーにはハチミツ。家はグランチェスターにあるわけではないけれど。 ともかく愛しています、あたしという者がいなくても、愛がなくても、命すらなくても・・・愛しています 2005/8/17 |
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