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ラストタイクーン


「ラスト・タイクーン」について

ラストタイクーン
  • スコット・フィッツジェラルド最後にして最高(という評価もあり)の長編
  • 作品は作者の死によって未完となった
  • フィッツジェラルドの創作ノートが残っており、作家の作品へのアプローチが垣間見れ興味深い
  • とにかく、スコットの再生への祈りがあおりには痛々しかった
  • ラストパーティDVD、悠河さんの最後の表情をしきりに思い出す・・・あの笑顔があったからまだ救われる

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一度復刊されましたが、今では復刊本も絶版。古本屋を捜し歩くも見つけられず、図書館の書庫の奥から司書さんに探し出してもらってやっと読むことが出来ました。

小説の描かれていないラストを埋めるため付記された、フィッツジェラルドの創作ノートからは、登場人物の性格設定や小説の枠組み、それぞれのストーリーにこめた筆者の思いを知ることが出来ます。作家の創作工程などなかなか知れないものなので、それだけでも面白いです(7/14/2005)

「ラスト・タイクーン」鑑賞

 最後の最後に描かれた、スコットの「祈り」

"アルコール"も、きちがいじみた"パーティ"も、若さと美しさに彩られた"少女"達も出てきません。

"愛娘"も、"生活の苦労"も、"精神を病んだ人物"も、"怠惰"も、"ニューヨークの幻"もありません。

フィッツジェラルド最後の長編小説では、今まで彼の作品で頻繁に用いられてきたこれらのテーマは全く姿を現さないか、もしくは強調されるまでに至りません。ラストタイクーン―「最後の大君」と訳されるこの小説において、主人公の男性は堅実で仲間から慕われ映画産業においては無くてはならない人物として描かれています。

今までどの作品の主人公にもスコットの香りを感じては彼の人生と小説を重ねながら読んできた私でしたが、ラストタイクーンを読み始めたばかりの頃は全くスコットを思い出すことはありませんでした。スコットの弱さ痛みが全くといっていいほど削ぎ落とされ、むしろたくましくなっている小説を前に、私は違和感さえ覚えました。

「この作品に再起を賭けていたんだ、これが彼なりの新境地だったのだろう」―そんな感じで読みにくい訳を一生懸命たどって行くだけ。そこそこ読み進めてもやはりそこにスコットの姿を思い浮かべはしませんでした。

「僕は半年後には死ぬだろう、けれどそれは今ではない。」

どうして気付かなかったのだろう・・・彼の筆が途絶える瞬間の、ほんの少し手前になるまで、どうして私は気付かなかった?「けれどそれは今ではない」に至るまでどうしてわからなかった?

ラストタイクーンでスコットが描こうとしたもの―それは"後悔"でも己に対する"憐憫"の念でもなければ不幸を受けることに対する"悲嘆"でも"開き直り"でもなかった。今までフィッツジェラルドの作品にちらついていた『人間としての弱く愚かで避け難いがために共感と同情を抱いた、それ』ではなかった。

「祈り」―フィッツジェラルドが死の間際まで必死に形にしようと試みたのは、"望み"や"憧れ"を通り越した彼の最後の祈りだったのに・・・。

 モンロー・スターに滲むスコットの「理想」

ラストタイクーンの主人公モンロー・スターもまた、フィッツジェラルド作品の例に漏れず、美しい女性を追い求めますが、その女性自体は小説の目的とするところではないし、ストーリーの一部にとどまっています。またスターの求めた女性は決して、過ぎ去るもの、失われるものへの哀愁が屈折し結像した像(例えばギャッツビーで描かれるような)ではありませんでした。私がフィッツジェラルド作品を読んでそう感じたのは初めてでもありました。

死に別れた妻とそっくりなキャサリンと偶然出会い、スターがそんな過去の残照を手に入れようとする姿はまるで、スコットが最後の「理想」を果たそうと、死の間際にあってもがく様であるようでした。

かつてのフィッツジェラルド自身、一度は手にしようとしたものの、霞のように無感覚なまま、指と指の間をすり抜けては消えて行った、あの成功充足幸福―そしてそれを受けるに足る、人間としての「自分」を、今ここ、死を前にして改めて、過去の中に探し求め、それを未来に向けてどうにか構築しようという、真摯ながらも痛々しい試みが、スコットの最後の小説の中に、確かに見とめられます。

切ない。

スコットは自分が心臓病気を患い体がそう長く持たないことを知っていたはず。同じく心臓を患った主人公スターも、まさかそんな自分の体を哀れだとは思わないし、そんな運命を辛いとも感じていません。彼は、ただただ自分の理想・自分の安息を追い求める続けることに、その瞬間瞬間のを惜しげもなく費やしていくだけ。

ギャツビーの場合、彼の理想とは「過去失ってしまった女性」であり、それ以上でも以下でもありませんでした。けれど「最後の大君」におけるスターの理想は、キャサリンという女性だけにとどまらず、むしろそのエネルギーの大半は、「良い映画を作りたい」という、彼の天職の方に強く向けられます。

心臓発作で倒れながらもこの作品だけは仕上げたいと、死の間際まで執筆に取り組んだ筆者の思いが滲みます…。

 ギリギリだったからこそ?

ほんとにじみすぎて辛い。そんなスコットのギリギリの祈りがこんなに強く塗りこまれているってことに、どうしてもっと早く気付けなかったのだろう。

最後まで書き切って欲しかった、彼の描くラストを見たかった、と思うと同時に、ラストまで行き着けない程にギリギリな状態だったからこそ、ここまで書けたのだ、という思いもまたあり。

Dear Scott 時計の針は 前へ前へと進み 残された 時間は あと わずか―

悠河さんの歌が小説を読みながらも聞こえてきそうだったよ。

自分のを秒読みで感じながら、家族自分宛手紙を書きつつ最後の日々を過ごしたスコットの気持ちを、小説に託された最後の(結果的に最後ではなく確かに最後だと分かっていた)祈りとして感じることが出来た。それだけで、私はこの本を読んでよかったなぁと思うのです。

自分のための引用

絶版で手に入らない為、本を手元に残して置けません。ので、印象的だった表現のみ(自分のために)メモしておこうと思います。

第1章、飛行機の操縦室にてパイロットとの会話。スターは山々を見下ろしながら言う。

「あんたが鉄道員だったとして、あそこからしかるべきところへ列車を通さなくちゃいけない。・・・三つか四つあるいは六つの峠があるとする、どれがどれよりいいということはやってみない限り分からない、決断しなくちゃいけない・・・どの道を選ぶか、全然理由がないんだよ、お分かり?」

パイロットはスターに尋ねる

「僕が知りたかったのは、いつどうやってスターさんになったかってことなんですよ」

あとからこの会話の内容を聞いた小説の語り部セリシアはこのパイロットの問いについて考える

「胎児に記憶は授けられないのだからスターはその質問に答えられなかったのではないかしら?私だったら少し分かるわ。彼は若いときにたいそう高く飛び上がって強い翼に乗ってものを見た。高く飛んでいる間ひるまず太陽を凝視出来る眼差しで全部の王国を眺めた。粘り強く―最後は狂ったように―翼を羽ばたき羽ばたき続けて誰よりも長く空に留まり、やがて大いなる高みから眺めた一切を思い出しながらゆっくりと大地に降りて来た。」

このエピソードに関するフィッツジェラルドのノートにはこうある。

「そこに道をつける理由は何も無いということだ・・・だが何故そうやるのか何故それに執着しなくてはいけないのか・・・大規模な新事業を企画する際にはちょっとでも懐疑を抱いていることを部下に知られたり憶測させてはならないんだ。彼らにはみんなで仰ぎ見る何かが必要なんだ。何か決断するに当たって少しでも懐疑を抱いているなんて夢にも思わせてはならない、そういうことがずうっと起こっているんだよ。・・・パイロットがスターに認める人間像は、その独自の分野でパイロットと同じく確実であり決断的であり勇気があるに相違ない人間のそれだ。」

その後にフィッツジェラルドは、このノートに示すような強い感情に入っていきたい、と書き、このエピソードに再度検討を必要としていることをうかがわせる。

フィッツジェラルドは、言葉が映画のような映像に従属していく様を嘆いていた。

「全ては過ぎ行く 逞しい芸術だけに永遠が在る

スターがキャサリンと再会した場面。キャサリンの家の前にて。

「二人きりになってみると、これまであったことはあまりにもろい土台の上に立っている。二人とも存在していなかったよう、彼の世界は遥か遠くにあり、偶像の頭部と半分開かれたドア以外に彼女の世界は存在しない。」

キャサリンは女優ではない。映画に関わっていないことがスターにとって救いであるかのようだ。ストーリーが最後まで行き着いたなら、フィッツジェラルドは彼女を結局スタジオに入れないままにするつもりだったようだ。外側の世界から内を覗き込む第3者として。

スターがキャサリンを誘う場面。

「スタジオに来ませんか?」
彼女は眉をしかめ髪の毛一筋ほどの影を眉間に作って言った。
「分かりません、でもとても有難いことだと思っていますわ」
何かの理由で彼にはわかる、来ないだろう―一瞬にして彼女はするりと抜け出てしまった。
つかの間は終わってしまった・・・影の中から出てみれば二人の間には30センチの月光が挟まれている。

セシリアとの会話

「映画が僕の女だ、あんまり時間が無いんだ―どんな時間も無い、医者と結婚したいくらいだ。」

スターを3年も診ている医者が思うこと。

誰が彼を連れ去り仕事から遠ざけてくれるのだ?今となってはもうすぐ死ぬことになるのだ、半年以内・・・心電図を現像して何の役に立つ?彼のような男に仕事をやめて半年空を見ていろと説得出来そうも無い・・・結局前にも陥った極度の疲労に向かう、きっぱりした強い衝動ではないか。疲労は毒だが薬でもあり、肉体的快楽をスターが引き出していたのは明らか・・・生命力の逆用だが、もう干渉しようと努めるのはやめてしまった。

これはきっとハリウッドの愛人シーラグレアムのこと。

「あなたのチャンスよスター、・・・これはあなたの女、彼女ならあなたを救える、うるさく攻め立て生き返らせてくれる、お世話をするからあなたは強くなってそれが出来る」

キャサリンがスターから離れる。スターはセシリアと一緒にいることで寂しさを紛らす。

・・・・そんなふうにして彼と私が手をつないで歩き回る2週間がスタートしたのだ、ルーエラが私たちを結婚させるにはそのうちの一週間で足りた。

ここで原稿途切れる。私が見たところ、AからIまで区切られたストーリーのうち、Dまでしか進んでいない。

最後のノートの一行

行動は性格である。」


2005/8/17
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