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ジャズ・エイジの物語

「ジャズ・エイジの物語」について

◆ TALES OF JAZZ AGE
  • フィッツジェラルド作品集1(渥美昭夫、井上謙治編/荒地出版社)
  • 海外で比較的高く評価されている短編を読むことのできる(おそらく)唯一の翻訳本。
  • フィッツジェラルドが一番チヤホヤされていた時期の短編集から、有名どころが訳されている
  • とにかく「リッツ〜」が読みたかった!最高に良かった!きらきらしてて。
  • 反対に「氷の宮殿」はひどいもので、村上訳を先に読んでいて良かった
  • フィッツジェラルドが「時代の寵児」と言われた所以の分かる作品集

ギャツビーやらバビロン再訪やら超傑作級しか翻訳されていなかった(村上氏は既に趣味でマイロストシティを翻訳し出版していたが…)時代に、フィッツジェラルドを広く日本に紹介しよう、ということで、研究者方が短編集やエッセイを訳出した「フィッツジェラルド作品集1・2・3」。日本でこれらの作品が読めるというのは、「夜はやさし」でさえ!絶版(←し、信じられない…)になっている今日においては、大変に貴重であるっ!(7/14/2005)

 

「ジャズ・エイジの物語」鑑賞

 リッツホテルのように大きなダイヤモンド THE DIAMOND AS BIG AS THE RITZ 1922

一言。

よくもまぁこんな突飛な話を!アハハハ!

でも夢想をそのまま現実に持ち込んじゃう彼の表現力のお陰で、笑いそうになりながらも(実際ニヤニヤしてはいたが)描かれる世界の美しさと実体の無さにクラクラしてしまった。クラクラクラ。

表現が綺麗過ぎて、アルコールの入ったまま湯船に浸かったときのような現実味の無さ。ピンクや黄色やライトブルーのカラフルさに薔薇の香りが立ち上るような、そういう味付けであります、と言えば、少しはこの奇妙な非現実さというものがどんなものだったか通じるでしょうか。

もう一言。 ほんとホテル並みにでかいダイヤモンドが出てくるすっごい設定、在る意味子供じみてる。

そこそこ金持ちの少年がすんごい金持ち青年の集まる大学に進学し、そこですんごいすんごい金持ちの男の子と友達になり、長期休暇その子の実家に招かれる。そこで打ち明けられる秘密っていうのが、その「リッツホテル並みのダイヤを所有してんだぜ」

金と物質に対する愚かしいまでの、金持ち特有の無頓着な馬鹿さ、それらに伴うあきれるような魅力…貧富の階級とそこに横たわる誤魔化しがたい落差、夢の潰える瞬間と青春は狂気だと言い切る平静さ…

フィッツジェラルドのテーマってやつは、初期短編において既にこーこまで確立してるんだなぁと、感心すらしてしまう。何をおいても「金・金・カネ」!ついでにそれに付属する逆らいがたい魅力!と無くてはならない「馬鹿で軽薄な美女」

これがアメリカの根っこ。アメリカンドリームってやつだって、何かやっと分かった。

リッツホテルは彼の短編には何回も何回も出てくる。彼がフットボール絡みの単語を出すのと同じくらいの頻度で繰り返し繰り返し。リッツホテルかぁ、どんなところだろう…

雰囲気は「カットグラスのボール」に似ていた。あれも結構好きだった。世界がぐーるぐる回る感じが好きだった。そうそう、二つの作品に共通の雰囲気―世界が彼の筆の走りに伴ってぐるぐる回るの。世界の外観の描写と人物の内層の描写が互いの流れに互いを巻き込みながらぐるぐると。

何て世界をきらびやかに描くのだろう、何て無遠慮に世界に散らばる美の断片を引きちぎっては並べ立てるのだろう―批評する者はフィッツジェラルドのタッチをよく「華麗」と表現するが、それを初めて「実感」した感じである。

彼に最も人気があり、最もがあり、自由と名声とエゴを欲しいままにし、そして乱用した1920年代初期の作品…これを読めば彼がこの20年代という時代にどういう形を望まれそれをどう提示することで受け容れられたのかが嫌でも分かる。

いや、ホント、キラキラ度爆発の作品でした。あー美味。

「私、前には星なんて気にしたことも無かったわ、私、星なんて誰かが持ってる大きなダイヤモンドだって思っていたの。―あの星を見てると、皆夢だったみたいに思われてくるの。」
「誰の青春だって夢なんだよ、化学的狂気の一形態なのさ。―この世の中にあるものはダイヤモンドだけ、ダイヤモンドとおそらくは幻滅という惨めな贈り物だけなんだ。」
 バーニスの断髪宣言 BERNICE BOBS HER HAIR 1920

きっとこういう作風が、1920年代の若者に受けたんだろうなぁ。しみじみ。

金持ちでもともと美人なのに垢抜けないバーニス。従姉妹のマジョーリーはダンスパーティでも引っ張り凧のモテモテ女。マジョーリーはもてないバーニスを馬鹿にしており二人は仲も悪い。バーニスは意を決してマジョーリーに助言と協力を求め、男性にもてようと必死になる。そんなこんなでバーニスはマジョーリーの恋人を取ってしまう。それに嫉妬したマジョーリーはバーニスに「断髪」をけしかける。。。

今じゃボブもショートも当たり前だしそれが惨めだとも醜いだとも感じない世の中な訳だが、もともと女性の短い髪っていうのは、20年代初期に現れたフラッパーガールがその走りだったよう。これは女性がそれまでの男性優位の歴史に対して起こした初めての反逆

この短編では、女性がその美の象徴を自らの意思で捨て去り、個人としての女性の強さを得ていく様がコンパクトに描かれてる。時代が変わろうとする中で、若者が新しい価値観と生き方を得ようとする20年代の流れを、軽快に後押ししているよう感じられた。

きっとこういう作品でフィッツジェラルドは20年代アメリカニューヨークにおいて若者の代弁者としての地位にのし上がったに違いない。うん。

 氷の宮殿 THE ICE PALACE 1920

と、とても、この人の訳では読めたものではありません…さぁ村上氏のマイロストシティを読みましょう…

舞台がいくら南部だからってその南部なまりを訳すのに、怪しいなまりまくった日本語を当てるのは、ちょっと無謀です。すっごく田舎臭くて(いえそれが訳者の狙いだとしても不自然すぎます!)のどかだ〜とか眠くなりそうな街〜とかを通り越して、なんじゃこりゃ、という印象しか受けません。

あとそれを抜きにしても、見せ場である氷の宮殿の場面も表現がぱっとしなくって、村上氏の訳ではぐっときたのが嘘のよう。

 メイデー MAY DAY 1920

※他の短編集で読んだので、感想はまた違う場所で…

 冬の夢 WINTER DREAMS 1922

自らフィッツジェラルドを「自分のための作家」と宣言している村上春樹氏一番のお気に入り短編。

そしてギャツビーの元になった(らしい)短編。男女の在り方、「冬」という幻滅の世界の中から見た「夢」の醒める瞬間の空しさなどは、ギャツビーと同テーマか。

あとキラキラ度にのみ頼らない、落着いてバランスの取れた哀愁ってやつもギャツビーに繋がる。 そしてそんな筆の運びもまた好きだ。

私はこの作品の言う「冬」の定義がとても素敵な気がする。主人公デクスターにとって故郷の長い冬は「心を滅入らせる」季節であり「不快」なもの。そんな故郷の冬景色を眺めては「侘しい限り」と言うデクスター。このように故郷の冬を疎んだ記憶が、彼に「夢」を見せるのだ。

冬の夢はまず彼に金持ちの空想を抱かせる。金を手にしたデクスターはまたいつものパターン。馬鹿で軽薄な美女に振り回される。しかしそれらの「夢」の終わりはあっけないものだった。

彼の見ていた青春の一時は所詮「冬の中で見た夢」だった。夢が覚めても、そこはかつて恨めしく思った故郷の冬の土地。…現実の薄情さ、若者の向こう見ずさ、故郷の冬を憎むことで見るに至った「冬の夢」…ラスト、幻滅の淵に立たされた主人公の悲しみや惨めさと言ったらない。

フィッツジェラルドにとっての「夢」―彼の根幹を端的に表している作品だと思われる。

「門は閉ざされ日は沈み美しいものは消えてしまった。残されたものは全ての時に耐えることの出来る灰色の鋼鉄の美だけだった。」
「ずっと昔―彼は思った。ずっと昔僕の中には何かがあった、だが今では無くなってしまった、無くなってしまったのだ。」
 ”分別” "THE SENSIBLE THING " 1924

現在の日本人女性である私には多少分かりづらい概念である。

金持ち女性との結婚にはそれに見合う金が必要であり、愛情の深さとかとはまた別次元の大問題であるということ。階級の差による愛の破局。これもフィッツジェラルドのテーマの一つであったようだ。

「いつ僕と結婚してくれる?」
「私と結婚する用意は出来ているの?」
「つまり君は僕が結婚相手になれるほど金持ちじゃない、と思っているのかい?」

…金の無いアナタと結婚するのは「分別」のないことだと思う、こうはっきり言ってしまうヒロインも凄い。

ラストには主人公、名誉回復しっかり金と地位を築いてヒロインとよりを戻すかと思われるが…

「この世界にはいつだって時がある…しかし彼はキスする時、ほんの一瞬永遠を探し求めてもあの失われた四月の時間は二度と戻ってこないことを知った。…四月は終わった、終わったのだ。この世にはあらゆる種類の愛があるが、同じ愛は二度とないのだ。」
 赦免 ABSOLUTION 1924

カトリックであるフィッツジェラルドの信仰に基づく作品か。

告解で嘘をついた少年が、神の御前で罪を犯したことを恐れるような、それでいてその隙間をかいくぐってどうにか逃げおおせようとするような。

神という存在に対する畏敬の念、逆らいがたく冷たい重力、それが人生において非常に重要なファクターであると言う認識…また、そういうしがらみ(?)と距離を置いたところにある生命力の美しさとか罪深くも生きていく強さ…少年の目から見た二面性の世界が印象的。また最後に神父様が壊れることにはどういう意味が含められているのか…

奔放な消費生活を続けていくうちに、自分の信仰心から少しずつそんな生活の在り方を疑うようになったのか。この短編が書かれた1924年という年次からはそんな予感もする。

「いいかね―君は遊園地を見たことがあるかい?」
「ありません、神父様」
「それなら見てきたまえ―だが、そばに近寄ってはだめだ。なぜかと言えば、近寄ると、熱気と汗と生命を感じるだけだからだ」

フィッツジェラルドの信仰心は、「遊園地」に近寄っては駄目だと、彼に訴えかける。遊園地とは紛れも無くニューヨークでのはちゃめちゃな生活であり、その生活はと言えば「熱気と汗と生命を感じるだけ」だと断言する。

フィッツジェラルドにとって20年代ニューヨークは非生産的ではあるが彼の生きる実感そのものだったということか。


2005/8/17
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